自己受容の芽吹き

投影が激化して、いろんな言葉が飛び交うけれど、影響されることはなくなった。
もちろん嫌な気持ちはあるし、身体感覚としての反応もある。
でも、感情を投げ込まれていない。
私の気持ちは乱されていない。
自分の反応を選べる感覚さえあった。
これが、「自己コントロール感を保つ」ということだ。

もう私のコントロールは奪われないだろう。
揺らぐことはあっても、私はまた泉に帰ることができると確信している。
「自己受容感」を得たのだ。
頑張らなくても、守られているという安心感のなかにいられる。
相手の反応は、干渉されることのない外側の出来事として捉えられる。

これほどの状態に至るのはもっとずっと先のことだと思っていた。
心地よさを感じながらも、わたしのための私でいることに落ち着かなさを抱く。
慣れないけれど、それでも振り出しに戻ることはないだろう。

私のままでいようとする気持ちが、生き生きと芽吹いている。