痛み、痕跡、重み

朝はのんびり眠っていた。
昼食を作って食べて、気づけば動画を観ていた。
そこそこ時間を費やしてしまったことが、悔しかった。

今までもこんなふうに焦って、心が波立ったところに感情を投げ込まれて、揺さぶられて、苦しんで、浮上して、というループを幾度となく繰り返してきたことを自覚した。
はっきりと、パターン化されている。

私のなかには確かに痛みがあったし、傷跡は今も残っている。
でもそれを、今はもう病気と呼ばなくても良いのだと思う。
「病気ではないけれど、休むことが必要」というのが、現状に対する認識。

ひとりでいると元気なのに、手放した荷物の重みの感覚がいつまでも残り続けているみたいに、身体感覚や抵抗は残っている。
1人になりたいわけではなくて、ただ楽になりたいだけ。
豊かなイメージのなかで泉に帰ることはできるのに、体に反応が残っていることが苦しくて、悔しい。

癒しが進んでいるからこそ、もう巻き込まれることに耐えられないし無理はできないようだ。
こんなにも重たくて苦しいのは最後かもしれない。
今感じる重みは意味深い。
大切に、感じ尽くしたい。