彼岸花

蝉が鳴いているのに、彼岸花が咲いていました。
燃えるような赤い色、地面から不自然に伸びる佇まい、そして根本からばたりと倒れて息絶える姿、その全てに不思議と惹かれて目を離せなくなります。

ひと月ほど前から、家にいると息苦しさを感じるようになりました。
閉じ込められているような気がしてくるのです。
急な変化に戸惑いましたが、時間が経つとともに、押し殺していた感覚に気がついただけなのだと感じるようになりました。
家の居心地はきっとずっと良くなかったけれど、それを抑圧して感じないことによって自分を守っていたのかもしれません。

壁打ちのように書き続けることが寂しくなってきました。
喧騒から逃れるためにここに来たはずなのに、読んでくださる方がいらっしゃることもわかっているのに、それでも寂しさを感じてしまうのです。
試しに、noteのアカウントを作ってみました。
どういう形であれ、書くことにブレーキがかかってしまうことには変わりないでしょうし、万事解決というわけにはいかないでしょう。

そもそも、わたしの根底には孤独が流れており、それが消えてなくなることはありません。
孤独に守られたことも、自分を見失うほどに飲まれることもありました。
どんな痛みも、わたしの一部です。

例えるなら私という布地をまだらに染めているしみのような物で、ほどいたり外したりできない。どんなに漂白を繰り返そうが、真っ白にすることはできないし、しみの部分を切り取って縫い合わせたらそれはもう自分じゃない。

一穂ミチ「光のとこにいてね」文春文庫

まだ聞いてほしいことは山ほどありますが、今日はこの辺りでお暇します。
すこやかでいてくださいね。