怖いまま歩く

さっそく初めての記事をお読みいただき、ありがとうございます。
とても嬉しいです。

嬉しさと共に立ち込める気持ちがあるので、今日はそのことについて書いてみようと思います。
それは、見られることへの恐怖心です。
ここを作るずっと前、SNSで文章を書いていたときに、親にアカウントを知られたことがありました。
当時の私にとって、そのアカウントは一つの居場所でした。
普段は心の奥底に仕舞い込んでいる気持ちを唯一明かすことのできる大切な場所に、土足で踏み入られたような、衝撃的な出来事でした。
文章を書こうとすると、何度もこの出来事が蘇ります。
今回もまた、そうでした。

もしも親にこの場所まで知られていたら、もちろん嫌です。
それでも、手放したくないのです。
「わたしそのもの」にしたいと思ってつくったものを手放したら、わたしは立っていられなくなるかもしれない。
ずっと外的要因に選択を左右されてきたけれど、この場所を、ひいてはわたし自身を護るためには、選択の軸を自分のもとに戻さなければならないと思いました。

まだまだ怖いまま、苦しいままだけれど、書き続けます。